プールで泳げれば、ウツじゃないのか?
2013年05月03日 公開
4年前、長男が生まれた当初、近くの町の市民プールに初めて行った。
大勢のスイマーを間近に眺めて泳げない自分は圧倒され、
子どもたちのキーキー声に頭が痛くなり、
プールの水にひたって、手足を動かすだけで、体中に乳酸があふれて、
ものの5分もせず疲れてしまった。
25mプールを足をつかずに1往復するだけでやっと。
プールは無理だと、あきらめてしばらく足が遠のいた記憶がある。
そして2年前の夏、2歳になった長男を遊ばせようとプールに連れて行って、
自分も泳いでみるかと、休み休みながらもがんばって200m泳いだのが始まりだった。
最初はプールで運動することに心理的抵抗感が強かったので、
自分的なご褒美として、終わったらパン屋によって帰る、
あるいは近くのスタバでのんびり1時間ほど過ごす、をめあてに休日の午前中通ってた。
このころはまだ、夕方、行くだけ行って、ちょっとだけでも泳いで、
休まなかったという既成事実で終わることも多かった。
それが1年たつと、400mを休みなく泳げるようになり、
ある日1000m足をつかずに泳げてた。
体重は一向に減らないものの、体力は確実について、今日も仕事だ憂鬱だという、
朝の億劫感が減ってきて、仕事中もきつくて休憩をとるという回数が減った。
運動はウツを治すものではないんだろうけど、
プールに行くことを義務と感じるだけでウツになるという過去からは
確実に変わってきている。
ウツの質、嗜好が変わってきたのかな。
まだ本は読めないし、テレビも見れないし、音にも敏感にうるさく感じるのはある。
何をするにも億劫で、えいこらっと気持ちを奮い立たせないと
第一歩が踏み出せない事実は変わらないからねー。
大勢のスイマーを間近に眺めて泳げない自分は圧倒され、
子どもたちのキーキー声に頭が痛くなり、
プールの水にひたって、手足を動かすだけで、体中に乳酸があふれて、
ものの5分もせず疲れてしまった。
25mプールを足をつかずに1往復するだけでやっと。
プールは無理だと、あきらめてしばらく足が遠のいた記憶がある。
そして2年前の夏、2歳になった長男を遊ばせようとプールに連れて行って、
自分も泳いでみるかと、休み休みながらもがんばって200m泳いだのが始まりだった。
最初はプールで運動することに心理的抵抗感が強かったので、
自分的なご褒美として、終わったらパン屋によって帰る、
あるいは近くのスタバでのんびり1時間ほど過ごす、をめあてに休日の午前中通ってた。
このころはまだ、夕方、行くだけ行って、ちょっとだけでも泳いで、
休まなかったという既成事実で終わることも多かった。
それが1年たつと、400mを休みなく泳げるようになり、
ある日1000m足をつかずに泳げてた。
体重は一向に減らないものの、体力は確実について、今日も仕事だ憂鬱だという、
朝の億劫感が減ってきて、仕事中もきつくて休憩をとるという回数が減った。
運動はウツを治すものではないんだろうけど、
プールに行くことを義務と感じるだけでウツになるという過去からは
確実に変わってきている。
ウツの質、嗜好が変わってきたのかな。
まだ本は読めないし、テレビも見れないし、音にも敏感にうるさく感じるのはある。
何をするにも億劫で、えいこらっと気持ちを奮い立たせないと
第一歩が踏み出せない事実は変わらないからねー。